沖縄のアラフィフが口にする「復帰っ子」って何?

沖縄のアラフィフ世代と話をしていると、時々「復帰っ子」というフレーズが出てきます。もちろん意味は「本土復帰」と関係あり!でも復帰っ子という言葉には、沖縄アラフィフ世代にとって特別な意味があります。

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沖縄のアラフィフ世代が口にする「復帰っ子」って何?

疑問が浮かぶ

沖縄出身で70年代生まれの友人と話をしていると、時折「復帰っ子」というフレーズが出てきます。

これは「復帰っ子」と呼ばれる人がズバリ【1972年生まれである】ということが関係しています。

1972年に何が沖縄であったのか?

日本国旗

1972年の沖縄で何が起きたかというと「本土復帰」です。つまり1972年はアメリカ軍の統治下にあった沖縄が日本の統治下に戻ったことを意味します。

それまでの沖縄は、「沖縄」でしたが「OKINAWA」でもありました。

沖縄は外国という扱いでしたので、本土から沖縄に行くにも、沖縄から本土に行くにもパスポートが必要でした。

でも、本土復帰によって沖縄は「外国」ではなくなります。パスポートも必要なくなりましたし、日本の法律が施工されるようになります。

もちろん、本土復帰の前と後ではいろんなことがかわりました。

外車

まず道路交通法が変わります。それまでアメリカの統治下にあった沖縄は、車は右車線を走るものでした。ハンドルはもちろん左ハンドルですから、まさに外国です。

お金も変わりました。復帰直前まで街の小さな商店ではアメリカのお金で買い物が出来ました。

子供たちでにぎわっていたマチヤー(駄菓子屋のようなもの)も、この頃は「イッセンマチヤー(「1セントあれば何でも買える」という使い方が正しいのですが、「1銭あれば何でも買えるくらい安くて何でも手に入る店」と力説する人もいます)」と呼ばれていました。

ただ、いい意味での変化もあれば、県民にとって都合の悪い変化もありました。

でも・・・それも全部含めて「本土復帰」というので、1972年という年は沖縄県民にとってとても意味のある年と言えます。

復帰っ子の母子手帳は「琉球政府発行」

母子手帳

ちなみに【復帰前に生まれた友人】の母子手帳と【復帰後に生まれた友人】の母子手帳は違います。

復帰前の沖縄は「琉球政府」が実質上の行政府です。ですから母子手帳には「琉球政府発行」と書かれています。

復帰後の沖縄は日本の行政府が監督するわけですから、当然母子手帳には「日本政府発行」と書かれています。

何も知らない私からすれば「琉球政府発行の母子手帳なんて、メチャクチャレアじゃない!」と、そのこと自体に興奮したのですが、当の本人たちにとってそれは特別な意味を持たないらしいです。

そもそも「復帰っ子」という言葉は、時代の変化を表す言葉でありながら、実際にはもっと深い意味を持つ言葉なのだといいます。

復帰っ子として生まれてきた事に対する誇り

胸に手を当てる

復帰っ子の友人と接していると、「復帰っ子」という言葉を使うときには沖縄県民としての誇りを表す時に使っているような感じがします。

もちろん、それはアイデンティティという意味もあるでしょうし、新たな沖縄の歴史と共に歩んできたという誇りもあるでしょう。

そういう意味で「復帰っ子」という言葉を使うときには、誰もが誇らしげな表情を浮かべています。少なくとも私の周りにいる復帰っ子たちはそうです。

復帰っ子というと年齢がバレてしまう

イライラする

ただ復帰っ子という言葉を使えば、沖縄県民にはすぐに年齢がバレてしまいます。

人は男女問わず「若く見られたい」と思うのが本音です。ところが「復帰っ子」というと、1972年生まれと断定されてしまいます。

見た目よりもはるかに若く見られるのであればよいのですが、正直なところアラフィフ世代はとっても年齢と見た目に敏感です。

しかも、ある年齢以上の沖縄県民であれば、復帰っ子の意味をきちんと知っています。

だから、復帰以降に生まれた人に「もしかして復帰っ子?」と聞くと、暗に「アラフィフでしょ?」と言っているのと同じ意味になるので、中には顔をしかめる人も・・・。

【まとめ】復帰っ子は真面目に戦争と平和を語る人が多い

米軍基地

1970年代といわれる10年間の中で「1972年」という年に沖縄で生まれるということは、ある意味で奇跡かもしれません。

「単なる偶然」と済ませることもできますが、結婚をし家族を持ちその子どもの巣立ちを経験する年齢になると、世の中に対する考え方も変わってきます。

つまり「復帰っ子として生まれてきた事の使命を考える」・・・というやつです。

現実的には生まれた年の違いと人生にはそれほど深い関係はありません。(あくまでも戦後生まれを前提としますが…)

ただ、沖縄に住んでいる限り常に「戦争と平和」は身近にあります。

いまだに沖縄は多くの基地を抱えていますし、基地返還問題を取り上げれば必ず賛否が出ます。何しろ復帰後に生まれた人にとって基地がある風景以外は知りません。・・・「基地がない」ということを想像できないのです。

でも、復帰っ子は成長と共に周りの景色が変わっていくのを見てきた人です。だからほかの現役世代(というよりも復帰っ子以外の人)が冷静にとらえる今の沖縄の現状も、賛否は関係なく熱く語る人が多い傾向があります。

つまり復帰っ子は、復帰を迎えたそのときの沖縄県民の気持ちを象徴するような存在なのです。

だから、復帰からまもなく50年を迎えようとしている今でも、復帰っ子たちは自らが生まれてきた時代の意味を問い、「ウチナンチュのアイデンティティとは何か?」と真剣に考える人が多いのかもしれません。