多くの人が勘違い!?沖縄にはコザという地名はない!

沖縄へ旅行に来たことがある方は「コザ」という言葉が使われたお店や場所を多く目にし・・・不思議に思った方も多いのではないでしょうか?沖縄県のある地域だけに集中して「コザ」という名前が使われているのですが、実は今現在コザという地名はないんです。なぜコザという名前が使われているのか、コザとは一体どこから来た名前なのかを分かりやすく説明したいと思います。

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沖縄にコザという地名はない!?

多くの人が勘違い!?沖縄にはコザという地名はない!

沖縄県の中部には、「コザ十字路」「コザ・ミュージックタウン」「コザボーリングセンター(通称:コザボー)」「コザパークアベニュー」「沖縄県立コザ高等学校」「コザ自動車学校」と・・・コザという言葉が店舗や学校名に使われている地区があります。

その為、旅行で訪れた方が「コザ市」があるものだと勘違いしている方も多くいらっしゃいます。ですが、実際には「コザ市」という市町村はなく、「コザ」という名称を使用しているものは「沖縄市」の市内に多くあるんです。

沖縄県民も例外ではなく、南部や北部に住んでいる方の中には、沖縄県に「沖縄市コザ」という地名があるものだと勘違いされている方も多くいらっしゃいます。

ミッチェル

実はコザという地名は、今現在 存在しないんです。

なぜ、コザという地名はないのに・・・コザという言葉が使われた場所(店舗・学校等)が多くあるのでしょうか。

では、なぜ「コザ」と呼ばれるようになったの?

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話は1945年までさかのぼります。

元々、沖縄市は「越來村(ごえくそん)」という小さな村でした。その当時、沖縄県は沖縄戦の真っ只中・・・。

沖縄県に攻め入る為、沖縄へと上陸したアメリカ兵達が、越來村にある嘉間良(かまら)地区と、胡屋(ごや)地区に野戦病院や物資集積所、宣撫隊本部を設営し「キャンプ・コザ」と名付けて呼んでいたそうです。

なぜ、アメリカ兵達は「キャンプ・コザ」と名付けたか・・・という話ですが、越來村(ごえくそん)の胡屋(ごや)地区と、越來村の隣にあった美里村の古謝(こじゃ)地区の名前でこんがらがってしまい、「コザ」という風に呼んだのではないかと言われています。※諸説あります。

キャンプ・コザ

終戦後の1945年9月、越來村(ごえくそん)に難民の収容所が設置されたことで人口が急激に増加したため、一時的に「胡差市(こざし)」という名前に変わったそうです。

翌年の4月には越來村(ごえくそん)に戻ったそうなのですが、1956年6月に越來村から「コザ村」に変更・・・1カ月後の1956年7月には「コザ市」へと昇格しました。

以降・・・18年間 アメリカの文化を多く取り入れた町として発展を遂げていたコザ市ですが、1974年4月1日に隣の美里村と合併し「沖縄市」へと改称しました。

改称以降、沖縄県内に「コザ」という地名はどこにもありませんが、それから40年以上たった今でもお店や学校など至る所に「コザ」の名残をとどめているのです。

今でも昔の面影が残る沖縄市

沖縄市

沖縄市は、今でもアメリカの文化を色濃く残している町です。

上の写真を見て分かる通り、外国人向けの洋服屋さんなどが沢山立ち並んでいるコザゲート通り(空港通り)には、アメリカンなパブなどもあり昼夜問わず外国人を多く見かけます。コザゲート通り(通称:空港通り)の服屋さんにはB系スタイルの服が多いので、B系ファッションを好んでいる日本人も多く訪れる場所なんですよ。

ミッチェル

学生の頃はよく服を買いに行ってました。お店によっては値引き交渉可能です(笑)

沖縄市

そして、沖縄市で有名な場所と言えばコザパークアベニューもその一つです。昔はとても栄えていた場所ですが、今では半分くらいのお店がシャッターを閉めています。ですが、個性豊かなお店が沢山あり、おいしいと有名なタコス屋などもありますので、一度はお店を見て回ってほしいと思います。

ミッチェル&ジェシカ

沖縄市は、古き良き沖縄の面影を残しつつ、若者の街へと変貌を遂げている素敵な街だと思います。「コザ」は沖縄市になる前の名称だという事を覚えておいてくださいね!