沖縄の前身、琉球王国ってどんな国だったの?

どんな国でも地域でもその土地には人が住み、そしてその土地土地の文化や風習を作ってきました。今では平和と言われている日本でも、昔は戦争や迫害がありました。そして、現在の沖縄県はその昔ひとつの「国」として人々が暮らしていたのです。

沖縄県はその昔「琉球王国」という国だった…

琉球王国

今でこそ「沖縄県」として知られている小さな島・・・。

本土の方からするとまるで南国のよう・・・。国内旅行ではありますが、ちょっとした海外旅行感覚を感じることができますよね。

沖縄についてよく言われるのが「うちなー」と「ナイチャー」についてです。

内地(本土)の方をナイチャーと呼ぶことが多い沖縄では、同じ日本でありながらこのように呼び方に区別をつけていることも。

その理由としては、沖縄がその昔日本ではなく別のひとつの国であったこと、そこから独自の文化や風習がたくさん生まれ、現在も受け継がれていることなどが挙げられます。

さて、その沖縄県の前身である国。その名を「琉球王国(りゅうきゅうおうこく)」といいます。

どのような歴史をもち、現在の沖縄にいたるのでしょうか?

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琉球王国について

首里城

琉球王国、正式名を「琉球國(りゅうきゅうこく)」といいます。

1429年から1879年までの450年間にわたって、奄美群島と沖縄の島々を統治していました。

現在と同じ小さな離島の集まりなので、その人口は約17万人ほどという小さな王国でした。ですが、中国(当時は明・清)や東南アジアにあったマラッカ王国(マレー半島南岸に栄えたマレー系イスラム港市国家)などと交易がさかんで、小国ながらもとても栄えていたといいます。

そのため、士族については中国風の名前を持っていたり、中国の影響を強く受けている印象があります。

1429年に成立したとされる琉球王国は第一尚氏王統、第二尚氏王統と続き、そして後半は日本の薩摩藩によって支配されました。薩摩藩によって支配されたあとも、国としてその文化を続けていったと言われています。

1853年、浦賀に来航したことが知られている黒船のペリー提督ですが、その後 那覇にもやってきて首里城を訪れたといいます。

ペリー

江戸幕府と日米和親条約を結んだ同じ年(1854年)、琉米修好条約(りゅうべいしゅうこうじょうやく)を結んで帰ったと言われています。

その後、1871年、日本の明治政府は琉球王国の土地を鹿児島県の管轄と決めました。ですが、琉球王国はやはり独自の国としての意識が強かったっために・・・「明治」の年号を使わなかったり、中国との取引を絶つことをやめませんでした。

そのため、明治政府は兵を引き連れて琉球王国へ向かい、首里城の明け渡しをするように威圧をかけ、王統の支配を終わることとなりました。これを「琉球処分」といいます。

琉球王国が「日本」へとなった瞬間でした。

琉球王国の文化について

琉球舞踊

琉球王国第4代尚清王代の1531年から、尚豊王代の1623年にかけては歌が盛んだったようです。

「おもろさうし」という、琉球最古の歌謡集があり、なんと22巻(1500以上)にものぼる歌が集められており、琉球王国について知る貴重な資料として知られています。

「おもろ」の語源は、うむい(思い)から来ており、さうしは本土の草子(草紙)をマネて「さうし」とつけられたと言われています。

内容としては、風景や戦争、神話などが多くつづられており、恋愛の歌はわずかしかなかったそうです。

また、現在でも有名な「琉球舞踊」については、実は琉球王国時代に誕生したと言われています。これは交易国の中国からやってくる使者を歓迎するため、宮廷で踊っていたという「御冠船踊り」が起源だと言われています。

さらに、宮廷音楽をはじめ、中国武術から生まれたという沖縄固有の沖縄手・唐手(トーディー)の「ティー(手)」という武術もありました。唐手は漢字を見て分かる通り・・・空手の旧称だと言われています。

今では世界中で知られている空手ですが、元々は琉球國時代から盛んにおこなわれている武術なんです。

エミリー

空手が沖縄発祥だという事を知らない方が、まだまだ多いようで驚かれる方も多いです。

琉球の宗教、どうなっていたの?

斎場御嶽

沖縄にはスピリチュアルな場所がたくさん。

御嶽(うたき)をはじめとする拝所があったり、神が作り出した島など逸話がたくさんありますよね。

沖縄には「ユタ」というシャーマンがいることは有名で、今でも医者半分・ユタ半分と言われるほど沖縄ではユタに頼るご家庭も多いそうです。ただ、琉球王国時代には王国の支配を徹底させるためにたびたびユタを弾圧したと言われています。

琉球王国では、王国が各地を宗教的支配するために「琉球神道(りゅうきゅうしんどう)」という宗教を広げました。現在でも民間の信仰として残っているそうで・・・ニライカナイ信仰や御嶽信仰とも呼ばれているそうです。

琉球神道は今でもその当時と同じように、たくさんの神様がいると信じられている多神教宗教として知られています。沖縄を作り出した「アマミキヨ」・「シネリキヨ」・「東方大主(あがりかたうふぬし)」・「キミテズリ」といったさまざまな神がいると言われています。

斎場御嶽

また沖縄ではユタのほかにもノロ(祝女)という女性の司祭がいます。

ノロは琉球王国の時代に王府から任命された人で、御嶽など神聖な場所の管理をおこなったり、司祭を執り行う役割をもっていました。

このように、沖縄では昔から人々の間で神が崇められ、御嶽はもちろんさまざまなところで神事が執り行われてきました。

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琉球王国、何を食べていたの?

琉球菓子

現在の沖縄では、本土にはない独特の「沖縄料理」としてさまざまなメニューが知られていますよね。

琉球王国時代は「琉球料理」として、宮廷料理が作られていたそうです。

今の沖縄料理でも主役としてよく使われる豚ですが、その当時はとっても貴重なもので裕福な家庭でも正月くらいしか食べられなかったといいます。そういった背景があったからか、豚は「ひづめと鳴き声以外は全部食べられる」と言われるようになった…と考えられています。

「沖縄そば」など現在の主流のメニューが生まれたのは、日本となった明治以降だと言われています。太平洋戦争が終わった戦後はアメリカから配給されたポークランチョンミートなどの缶詰も使われるようになり、沖縄県民になくてはならない「ポーク」料理が生まれました。

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また、現在沖縄の定番おみやげとして知られるお菓子の「ちんすこう」は、宮廷ゆかりのお菓子という伝統的なもの。もともとは中国から伝わったお菓子が変化したものだと考えられています。

・・・琉球王国は今の沖縄のルーツ。

料理はもちろん、宗教や土地・風習・文化など現在でもそのままの形で残っているところも少なくありません。

ひとつの国として栄えた琉球王国のことを知ってから沖縄観光をしてみると、少し違った印象を受けるかもしれませんね。


琉球王国

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広島から沖縄に移住してきたエミリです♪憧れの沖縄での生活を活かして沖縄の移住や文化について体験談を元にお伝え出来ればと思います。その他にも沖縄に関する様々な情報を発信していきます!