沖縄の観光スポットのひとつとして知られているのが、首里城(しゅりじょう)です。それを目の前に立つとまるでどこかに迷いこんだような、異国情緒漂う首里城は沖縄観光をするうえでぜひ訪れておきたいところ。では、首里城はいったいどんな目的で建てられたか、どのような見どころがあるのかなど、詳しく見ていきましょう!
- 首里城ってどんなところ?首里城について詳しく知ろう
- 本当の首里城は赤くない!?
- 首里城へ行くなら見てほしい見どころスポット!
- あまり知られていない首里城の秘密とは?
- ┣首里城の秘密その➀ 首里城の焼失は5回目
- ┗2019年10月31日に5度目の焼失
- ┣首里城の秘密その➁ 王様の居城なのにトイレがなかった
- ┣首里城の秘密その➂ 国王の遺体を一時安置する場所があった
- ┗首里城の秘密その➃ かつて首里城には琉球大学があった
- 首里城にも女性が取り仕切る「奥」があった
- ┣正殿の裏に広がる「奥」の世界
- ┣御内原の女官たちは美人優先で選ばれていた
- ┗御内原にある2つの特別な建物
- 首里城は沖縄グルメも楽しめる
- 首里城の入館料やアクセスについて
- ┗ゆいレールを利用するとお得に!
首里城ってどんなところ?首里城について詳しく知ろう
沖縄県の県庁所在地である・那覇市。この那覇市にある「首里」という地域にあるのが、首里城です。
とはいっても、街中に首里城がどどんとそびえ立っているのではなく「首里城公園」という広大な場所のなかに「首里城」があるのです。
首里城が建てられたのは、実はいつなのかまだわかっていません。沖縄の前身であった琉球王国時代、14世紀の終わりごろに建てられたものだと今のところ考えられているそうです。
沖縄には各地に「グスク(城)」と呼ばれるお城がたくさんありますが、特に14世紀ごろは集中してグスクがあちこちに建てられていました。このことから、そのグスクと同じように首里城もお城のひとつとして建てられたものだと考えられているんです。
実は首里城は建てられてから何度も何度も火事で焼失したり、戦いで破壊されたりした城。そのたびに再建され、ときには10年以上かかったこともあると言われています。
現在私たちが見ることのできる首里城も、太平洋戦争中に焼失・破壊されてしまったんです。ですが、その後首里城の外側にある「守礼門」が再建されたことから、周辺にあった建築物が次々と直されていきました。
そして、平成元年になってようやく首里城が再建(復元)されることに。でも、それは簡単な道のりではなかったそうです…。
本当の首里城は赤くない!?
首里城を再建するために、本来あった場所から移転させることが決まりました。
ですがその工程は厳しく、まず詳しい資料がない中での再建となったのです。もちろん、首里城を知っている方々に話を聴きながらの再建ではありましたが、屋根瓦は赤か黒かというところですでに意見が分かれる始末。
また、首里城に使われていたとされる「琉球瓦」を生産しているところは殆どなく・・・なんと、たったの1軒。屋根瓦作成の協力を受けて再建がすすみ、平成4年になると首里城公園が開園されました!
…のちにわかったことですが(2014年)、これまで美しく鮮やかな赤色だとされていた首里城の屋根瓦。沖縄戦が行われていた当時のカラー映像が発見され、そこには焼けてしまう前の首里城が映っていました。
すると、なんと屋根瓦が赤くないことがわかったのです。ですが、既に日本人の間「首里城=赤い」というイメージが大きく定着してしまっていた為、結局首里城の屋根瓦はそのままで現在も残されています。
昔の首里城は今と違い、木で出来ている部分(建物の壁の部分)は木の色で着色はされておらず、屋の瓦も赤ではなく灰色の瓦が使用されていました。
首里城へ行くなら見てほしい見どころスポット!
首里城は先ほども述べたように、首里城公園という大きな国営沖縄記念公園のなかにあります。
首里城公園は、管理センターや駐車場・総合案内所のあるところから少し離れたところに守礼門があり、そこから別の門を通って行きます。中には世界遺産に指定されているものもあり、ただ観光地として見に行くだけでなく、琉球王国の歴史にも触れることができます。
首里城へたどりつくまでのルートに、どのような見どころがあるのかをまとめてみました!
守礼門(しゅれいもん)
まず通るのが守礼門です。沖縄では様々な場所で「守礼」という言葉が使われていますが、どのような意味なのかご存知でしょうか?
守礼というのは「礼儀を守る」という意味をもっています。琉球の国は礼儀を重んじていた国だったので、王のいる神聖な城に入るにあたって礼節をもって…という心があらわれています。
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
守礼門を通ってから少し歩くと、左側に見えるのがこの石門。御嶽(うたき)はお祈りをする場所で、王が外へ出るときに安全祈願をするための場所だったとされています。
現在、復元されてからは国の指定重要文化財となっていて、平成12年には世界遺産へ登録されました。どっしりとした石門は、厳格な雰囲気が漂います。
歓会門(かんかいもん)
首里城郭へ入るための正門となる門。その名の通りやってきた人を歓迎するという意味を持っている門です。
当時、中国からの使者などを歓迎するということからこの名がつけられたと言われています。門の両側にはシーサーが一対いますので、ぜひ見てみてくださいね。
龍樋(りゅうひ)
龍樋は、首里城第一の泉とも言われている場所です。
龍の口から水が湧き出ており当時、この水は王宮で飲み水として使われていたとされています。
龍の部分は、約500年前(1523年)に中国から持ってきたものなのだそうです。復元された首里城の中でも数少ない、昔から残っている物の1つなのだそうです。
瑞泉門(ずいせんもん)
沖縄の泡盛でも有名な「瑞泉」というのは、立派だとかおめでたいという意味があるそうです。階段を上った先にあるこの瑞泉門は、歓会門と同じように門の両側に一対のシーサーが立っています。
漏刻門(ろうこくもん)
中国語で「水時計」という意味をもつ漏刻は、首里城へ行くための3つ目の門。
15世紀ごろにつくられたと言われていて、門の上のやぐらに水槽を置き、そこから漏れる水の量で時間を計ったと言われています。
万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)
首里城の券売所からほど近い場所に設置されているこの鐘ですが、実は当時は首里城の正殿にあったと記録があります。
…が、具体的にどこにあったのかということがわかっていないことから、ここに設置されているんだとか。また、実はこれはレプリカ。本物は沖縄県立博物館におさめられているそうです。
黄金御殿(くがにうどぅん)
正殿と奥書院の間にある建物は黄金御殿(くがにうどぅん)といい、琉球国王のプライベートルームです。
ここには王様と王妃、王母の寝室や居間があったといわれており、非常にプライベートな空間として使われていました。
現在は、琉球王国時代の美術品や工芸品が展示されている特別展示室となっています。
その他にも沢山の見どころが!
その他にも・・・、第4の門である「広福門(こうふくもん)」や、正殿につづく「御庭(うなー)」。
その御庭にさらにつづく「下之御庭(しちゃぬうなー)」や、御庭へ入るための最後の門である「奉神門(ほうしんもん)」。
琉球開闢(りゅうきゅうかいびゃく)のとき、神がつくった聖地であると言われている拝み所の「首里森御嶽(すいむいうたき)」、城の西側にある物見台の「西のアザナ(いりのあざな)」。
城のなかでもっとも信仰儀式が行われていたとされる「京の内(きょうのうち)」、正門である歓会門に対して、裏門として使われていた「久慶門(きゅうけいもん)」…など、首里城の城郭にはさまざまな見どころがあります。
立派なお城の中には、さらにこのような立派な門や御嶽(拝み所)がいたるところに作ってあり、当時の建築技術のすばらしさがうかがえます。
あまり知られていない首里城の秘密とは?
首里城は沖縄を代表する観光スポットであり世界遺産でもあるので、お城にまつわる話はたくさん出回っています。
そんな首里城には、沖縄県民にもあまり知られていない秘密があります。
首里城の秘密その➀ 首里城の焼失は5回目
現在の首里城は「沖縄戦で焼失したあと復元された」ということはよく知られていますが、実際には全部で5回も焼失しています。
1回目の焼失は、政権をめぐるクーデターによるものです。
第一尚氏(琉球最初の統一王朝をつくりあげた王家)から第二尚氏に変わる大規模なクーデターで、首里城はこの時に完全に破壊されました。
第二尚氏政権になると首里城は復元されますが、1660年に2回目の火災に遭い焼失してしまいます。2回目の焼失から再建するまでに11年の歳月がかかりますが、50年もたたないうちに3回目の火災に遭い正殿などの一部が焼失してしまいます。
この後に、琉球王国は1875年に明治政府による琉球処分を受け琉球藩となり、1879年に廃藩置県によって沖縄県となります。
その後、日本は戦争へと突き進み、沖縄県は戦地へと変わっていきます。そして首里城は1945年、沖縄戦によって完全に破壊されました。
2019年10月31日に5度目の焼失
こうして合計4回の焼失を経験し見事復元された首里城ですが・・・、2019年10月31日に原因不明の火災に見舞われてしまい、正殿・北殿・南殿エリアが5度目の焼失となりました。
なお、復興までには10年以上の歳月がかかるであろうと言われています。
上の写真は、現在立ち入り可能な無料エリアから見える景色です。意外と近くから見ることが出来ます。
首里城の秘密その➁ 王様の居城なのにトイレがなかった
琉球王国の政治と文化が集まる場所だった首里城には、多くの人々が集まる場所でもありました。人が集まる場所でなくてはいけないものといえばトイレですが、首里城にはどこにもトイレがありません。
これは琉球王朝時代にトイレという施設がなかったからではありません。
首里城は大切な行事や儀式を行う場所ですから、この場所で用を足すという考え方がそもそもありませんでした。
では、首里城に住んでいた王様たちはどうしていたのでしょうか?
トイレがない首里城だからといって、屋外で王様が用を足すということはあり得ません。とはいえ・・・排泄は自然現象ですから、トイレがないから用を足さないというわけにもいきません。
そこで使われたのが携帯用簡易トイレ、いわゆる「おまる」です。これを使うことによって首里城に住む王様はトイレがなくても暮らしていけましたし、初めからトイレがないから役人たちは用を済ませてから首里城に出勤していたのでした。
首里城の秘密その➂ 国王の遺体を一時安置する場所があった
琉球国王の墓といわれるのは、首里城のすぐ近くにある玉陵(たまうどぅん)と呼ばれる場所です。
第二尚氏王統の歴代国王が祀られている玉陵は三代目の尚真王(在位1477年~1527年)によって建設されたのですが、亡くなった遺体はすぐに玉陵に安置されるのではなく首里城内に一時安置されていました。その場所が、御内原にある寝廟殿(しんびょうでん)です。
寝廟殿は首里城全体が見下ろせる高台にあり、この場所に入ることができるのは琉球の王様だけでした。
敷地内には結界のためにサンゴ砂利が敷かれました。王様の亡骸を安置するので、この場所に敷かれるサンゴ砂利は琉球最高の聖地といわれる久高島からわざわざ運んでいたといいます。
現在、久高島からのサンゴ砂利の持ち出しは禁止されているので、別の場所から採られたサンゴ砂利が使われています。
首里城の秘密その➃ かつて首里城には琉球大学があった
沖縄には西原町に琉球大学という国立大学があります。
首里城がある那覇市からは距離がある琉球大学ですが、なぜか首里城公園の中に「琉球大学跡」と記された石碑が建てられています。
このネタはガセではありません。首里城がある場所には、かつて本当に琉球大学があったのです。
首里城が世界遺産として認定されたのは正殿内に今も残されている遺構のおかげなのですが、これを守ってくれたのが琉球大学の校舎でした。
沖縄戦によって徹底的に破壊された首里城とその周辺は、戦後アメリカ軍の占領下におかれたため大きく形を変えてしまいました。
でも、琉球大学が首里城の遺構の上に校舎を建てたことで、結果として首里城の遺構が残されることになります。
世界遺産に登録される条件に「遺構があること」が含まれているため、琉球大学が遺構の上に校舎を建てなければ首里城は世界遺産に登録されていなかったかもしれません。
首里城にも女性が取り仕切る「奥」があった
日本の江戸城には女性の世界といわれる「大奥」がありましたが、琉球の王様の居城である首里城にも女性がすべてを取り仕切る「奥」の世界がありました。
首里城の「奥」とはどんなところだったのでしょうか?
正殿の裏に広がる「奥」の世界
首里城の表の世界は、正殿から見て西側のエリアです。
日本・中国の和漢折衷様式で建てられた表の世界は、国王を頂点に男性が仕切る世界。
これに対して正殿から見て東側のエリアにあるのは、王妃を頂点に女性が仕切る「奥」の世界です。この場所を「御内原(おうちばら)」といいます。
御内原は正殿の裏側にあるのですが、御内原へ入るためには「淑順門(しゅくじゅんもん)」と呼ばれる表門をくぐらなければいけませんでした。
造りは他の門と同じく立派なのですが入口は小さく、さらに公務が行われるエリアからは見えない位置に設置されています。
ちなみに御内原に勤める女官は、住み込みの女官と通いの女官がいました。
住み込みの女官は御内原内にある女官居室に寝泊まりしていましたが、通いの女官は自宅から通っていました。
つまり淑順門は、御内原に通勤する女官たちの通用門としての役割もあったわけです。
御内原の女官たちは美人優先で選ばれていた
国王やその親族のお世話をする御内原の女官たちですから、相当立派な家柄の女性が選ばれていたと思いますよね?
ところが、それは違います。御内原で働く女官たちは「城人(ぐすくんちゅ)」と呼ばれていたのですが、城人になるためには身分は全く関係ありません。
必要な条件は「器量が優れていること」。つまり、美人であれば身分関係なく城人になることができたわけです。
もちろん、王様一族のお世話をする重要な仕事ですから、美人であっても城人として適しているか判断されます。
ただ身分の違いが採用に関係しない点は、お城で働く役人選びとしてはとても特殊な方法だったといえます。
御内原にある2つの特別な建物
御内原には、このエリアの中でも特別な役割を持つ2つの建物があります。
1つは首里城の大奥である御内原を取り仕切る「世添殿(よそえでん)」です。世添殿は大内原を管轄する場所だったので、御内原全体を見渡せる中央に建てられました。
もう一つの重要な建物が「世誇殿(よほこりでん)」です。
世誇殿は、普段は結婚前の王女たちの住居として使われていましたが、王様の代替わりの時には新国王の即位儀礼が行われました。
世誇殿は御内原のちょうど中央に建てられており、正殿と同じように建物の目の前にはウナー(御庭)があります。
さらに世誇殿の後ろには国王の亡骸を一時安置するための聖域「寝廟殿(しんびょうでん)」があり、御内原の中でも特別な役割を持つ建物といえます。
首里城は沖縄グルメも楽しめる
首里城内には、いくつかのショップがあるのでご紹介していきたいと思います。ぜひ休憩場所として利用してみてくださいね!
ミュージアムカフェ球陽(きゅうよう)
ミュージアムカフェ球陽(きゅうよう)では、沖縄名産のシークヮーサーやマンゴーなどの果物ジュースや唐揚げ・たこ焼きといった軽食をご用意しています。
- 営業時間
4月~6月・10月~11月 8時30分~19時7月~9月 10時~20時12月~3月 10時~18時
- 金額の目安:250円~850円
レストラン首里杜(すいむい)
タコライスや沖縄そばをはじめ、チャンプルー定食など定番の沖縄料理をいただくことができるレストラン。ソーキそばや数量限定のゆし豆腐定食が人気となっていますよ!
定食などのガッツリメニューはもちろんのこと、味付ソーキ・ラフテー・ジーマーミ豆腐・ミミガーなどの単品料理なども充実しています。この機会にぜひ沖縄料理にチャレンジしてみてください!
- 営業時間:10時~17時(ラストオーダー16時30分)
- 金額の目安:300~1100円
カフェ龍樋(りゅうひ)
首里城を散策したら、ちょっと休憩!アイスクリームやソフトクリーム、かき氷(冷やしぜんざい)などのスイーツに加え、トロピカルドリンクや軽食もあるカフェです。期間限定の「龍樋ソフト」もあるそうです!
- 営業時間
4~11月 9時~19時12~3月 10時~18時30分
- 金額の目安
300~600円程度
また、ほかにも沖縄の伝統工芸品やみやげ物が並ぶショップが2か所、有料区域と無料区域にひとつずつあります。
首里城公園オリジナル商品などもありますので、ぜひおみやげにチェックしてみてくださいね!
首里城の入館料やアクセスについて
首里城へは入館料金が必要になります。正殿・奉神門・南殿・番所・書院などの場所には入館料がかかりますので、発券所でお支払いをします。
首里城郭への入館料金は以下の通りです。
大人 | 高校生 | 小・中学生 | 6歳未満 |
---|---|---|---|
820円 | 620円 | 310円 | 無料 |
ちなみに、年間パスポートの金額は大人1,640円・高校生1,240円・小中学生620円となっています。
また、年間パスポートを更新すると2つの特典を受けることができます。
- 首里城公園直営売店のオリジナル商品が、年間パスポートを提示すると10%オフに!
- 抽選で1万円分の商品券が当たる!(※抽選は5・8・11・2月に行われます)
ゆいレールを利用するとお得に!
ゆいレール(モノレール)のフリー乗車券(一日券・二日券)を利用して、首里城を訪れた方は、券売所で乗車券を提示すると割引になるのだそうです。
- 大人:820円 → 660円
- 中人:620円 → 490円
- 小人:310円 → 250円
ちょっとだけ入館料がお得になりますので、観光にはぜひゆいレールを利用してみてくださいね!
首里城公園の周辺には、世界遺産として登録されている「玉陵」や、ほかにも長さ4キロにもわたる「首里金城町の石畳道」など、名所も。首里城をめぐるときには、ぜひ周辺も併せて散策してみてくださいね。
基本情報
- 無料区間 開園時間
- 4月~6月 8:00~19:307月~9月 8:00~20:3010月~11月 8:00~19:3012月~3月 8:00~18:30
- 有料区間 開園時間
- 4月~6月 8:30~19:00(入場締め切り 18:30)7月~9月 8:30~20:00(入場締め切り 19:30)10月~11月 8:30~19:00(入場締め切り 18:30)12月~3月 8:30~18:00(入場締め切り 17:30)
- ライトアップの時間
- 日没~24:00まで
- 首里城公園施設の一部休館日
- 7月の第1水曜日とその翌日
- TEL
- 098-886-2020(首里城公園管理センター)
- 住所
- 〒903-0815 沖縄県那覇市首里金城町1-2
- 公式ホームページ
- http://oki-park.jp/shurijo/
- クレジットカードの利用
- 各種クレジットカード利用可: NICOS DC JALカード etc…
- 駐車場
- 有料の駐車場があります。(小型:320円 大型:960円)
- Wi-Fi
- 利用可能
- 海の見え具合
- 海は見えません
首里城公園までのルート
現在地から首里城公園までルート案内を表示するにはGPS機能を有効にして下さい。
那覇空港から車で行く場合
那覇空港から首里城公園まで10.3km、車で約31分。到着までの時間は混雑状況によって変わります。
那覇空港からゆいレールで行く場合
那覇空港駅首里駅徒歩で首里城へ向かいます。
那覇空港駅から首里駅までは大人330円、小人170円。約27 分(14 駅)で 首里駅に到着。首里駅から首里城までは徒歩で約15分(450m)です。
近くのホテルや飲食店
近く(5.0km圏内)にあるホテル
- ダブルツリーbyヒルトン那覇首里城
- 首里城からダブルツリーbyヒルトン那覇首里までの距離約2km
- 沖縄都ホテル
- 首里城から沖縄都ホテルまでの距離約1.5km
- 沖縄ホテル
- 首里城から沖縄ホテルまでの距離約2.3km
- ホテル オーシャン(那覇国際通り)
- 首里城からホテルオーシャンまでの距離約2.9km
近く(5km圏内)にある飲食店
- レストラン首里杜(すいむい)
- レストラン首里杜(すいむい)は首里城公園内にあります。
- カフェ龍樋(りゅうひ)
- カフェ龍樋(りゅうひ)は首里城公園内にあります。
- 鎖之間
- 鎖之間は首里城公園内にあります。
- 石畳茶屋 真珠(まだま)
- 首里城から石畳茶屋 真珠(まだま)までの距離約600m
- 琉球料理赤田風
- 首里城から琉球料理赤田風までの距離約450m
最寄駅・最寄のバス停
- 最寄駅
- 最寄駅は首里駅です。首里駅駅まで約1.2km、歩いて約15分です。
- 最寄のバス停
- 沖縄県内(本島)のバス検索は主に以下の2つのバス検索システムから成り立っております。バスロケーションシステムでは那覇バスと琉球バス交通のみの検索が可能で、バスなび沖縄では沖縄本島内の主要なバス会社を網羅しており、那覇バス、琉球バス交通、沖縄バス株式会社、東洋バス株式会社から検索が可能となっております。
現在は無料エリアのみ解放されています。
2020年のゴールデンウイークには有料区間も解放される予定となっているそうです。