全国版のニュースでもたびたび取り上げられる沖縄本島北部にある辺野古。基地問題でゆれる辺野古ですが、辺野古が抱える問題を考える前に、知っておきたいことがあります。
辺野古ってどこにあるの?
基地問題で有名となった沖縄県の辺野古地区とは、名護市中心市街地から国道329号線をつかって宜野座方面に約10㎞ほど進んだ場所にあります。
沖縄県の最北端である辺戸岬付近にあると思われている方も多いようですが、意外にも旅行者が多く滞在する恩納村と名護市の間くらいの位置にあるんです。
辺野古ってどんな場所?
辺野古地区は、本島東海岸に位置する、海辺にあるのどかな村落です。
基地の移転問題によって、突然基地と向き合わなければならなくなったというような印象がある辺野古地区ですが、実は、その歴史から見れば、基地と長い時間をかけて関わり続けている地区でもあります。
村落の地域活性のために踏み切った軍用地契約とキャンプ・シュワブ
多くの村落が戦争によって、集落形態に大きな変化が起きた沖縄県ですが、辺野古地区は、早い時期に戦後復興を遂げた場所でもあります。県内では、至る所で混乱が続いていた沖縄ですが、復興を遂げた辺野古地区では、昭和23年ごろには、140世帯、634人が住むようになり、いち早く、戦前の村落の姿を取り戻していました。
そんな辺野古地区ですが、地域開発を進めるために必要な経済基盤の確保が難しく、村落の将来を考え、何度も人々の間で話し合いが行われてきました。その結果、地区の有志会が、辺野古地区内の軍用地契約に踏み切ることになり、昭和32年、キャンプ・シュワブの建設が開始されます。
アップルタウンと命名された新たな町
基地建設とともに村落では、昭和33年に新たな町づくりがスタートします。開発が完了すると、新たな町を中心に辺野古地区は急成長を遂げ、昭和40年になると、それまでの人口の約3倍になる2139名にまで増加します。
このとき、町づくりに尽力したといわれているのが、アップル少佐。そのこともあって、新たに成長したこのまちは、「アップルタウン」と命名されることになります。
基地誘致によって大きな経済的基盤を確保し、地域開発に成功した辺野古地区ですが、昭和40年をピークに、徐々に人口が減少しています。
今も地元の行事に積極的に参加しているキャンプ・シュワブ
全国的なニュースではあまり報道されていませんが、辺野古地区では、今でも、キャンプ・シュワブに所属する人々との交流が続いています。
- 区民運動会に参加する
- 辺野古地区では、毎年、辺野古区民運動会が開催されています。ここには、毎年、第11班として、キャンプ・シュワブの人々が参加しています。
- 地区のイベントにも参加する
- 辺野古地区では、伝統的な大綱引きが開催されると、キャンプ・シュワブの関係者を招待したり、所属する人々と一緒に綱を引くこともあるそうです。
また、昔から辺野古地区の娯楽として行われてきたハーレー(ハーリー)にも、キャンプ・シュワブはチームを組んで参加しています。
辺野古のまちづくり構想
アップルタウンの完成によって一度は賑わいを見せた辺野古地区ですが、人口減少の決定打がなかなか見つからないという状況が続いてきました。そこで、辺野古地区は、国立沖縄工業高等専門学校を誘致し、新たな町づくり構想に着手し始めました。
その甲斐があって、平成16年4月に国立沖縄工業高等専門学校が開校、平成18年4月には、540名の学生と60名の教職員が辺野古地区にやってきました。さらに今後は、辺野古・豊原・久志の三地区で構成された久辺地区における国際情報通信金融特区の中核拠点として、さらに魅力ある町づくりを進めていく計画が進められています。
名護市マルチメディア館を中心にした情報・金融特区の町づくり
現在、豊原区には、名護市マルチメディア館があります。ここでは、さまざまな機関が連携し、高度なマルチメディア技術者の育成と、研究開発拠点として活用されています。この名護市マルチメディア館の設置に伴い、県内外からさまざまな企業がこの地区への進出をすることによって、新たな雇用も生まれています。
豊かな自然に囲まれた住環境の整備
かつて、多くの人でにぎわったアップルタウンも、今後、再開発が検討されています。美しい海が見渡せる斜面には、眺望に特化した住宅街の建設や、自然の形を生かした海浜公園の整備なども、計画の中では検討されています。
辺野古の海には何がある?
基地建設が続く辺野古の海には、多くの生き物が棲む場所としても有名です。
沖縄防衛局がまとめて環境影響評価によると、辺野古の海を含めた大浦湾一帯には、5334種の生物の生息が確認されています。その中には、絶滅危惧種も含まれていることが確認されているんです。
絶滅危惧種はジュゴンだけではない
辺野古の基地建設反対運動を見ていると、絶滅危惧種のジュゴンを守ろうというメッセージを多く見かけます。でも、よく調べてみると、大浦湾に生息する絶滅危惧種には、ジュゴンだけでないことがわかります。
ざっと名前を挙げるだけでも、アカウミガメ、アオウミガメ、ベニアジサシ、ヤドカリなどの節足動物のほか、海藻類なども含めて全部で262種の絶滅危惧種が生息しているといいます。
どうしてジュゴンが注目されるのか
大浦湾だけでの262種もの絶滅危惧種が生息しているというのに、ニュースなどでは“ジュゴン”ばかりに注目が集まります。実は、これにはきちんとした背景があるようです。
もともと、ジュゴンは生態系における象徴種とされている生物です。そのジュゴンが生息することができるように環境を保全すれば、結果としてその他の絶滅危惧種も守ることができるという考えが、ジュゴンに注目が集まる背景にあります。
そもそも、どうして辺野古の工事をこんなに急ぐの?
そもそも辺野古の海の埋め立て問題は、宜野湾市にある普天間飛行場の代替基地の建設として、仲井真県知事時代に辺野古埋め立てを承認したことに始まっています。ただし、ここに問題があります。
仲井真県知事時代に安倍首相と交わした約束
仲井真県知事は、承認する前に安倍首相と面会しています。その際、五年以内に普天間飛行場を使わない状態にしてほしいという陳情を行っています。これは、オスプレイを県外に移すことを意味しています。
実は、ここには当時の仲井真知事の思惑がきちんと隠れています。国の辺野古移設計画では、基地完成までに10年かかるとしています。ということは、仲井真氏の言うとおり、国が五年以内の普天間飛行場の使用を禁止するというのなら、基地完成まで少なくとも5年間は、県外の飛行場へオスプレイを移動するということになります。
要するに、当時の仲井真県知事の要請を実現するためには、沖縄県外に基地を作るしかないということになります。
国が辺野古の埋め立てを急ぐ本当の理由は?
当時の仲井真県知事の要請に対し、安倍首相は、政府としてできる限りのことはすべて行うと答えています。これによって、安倍首相との面会を終えた当時の仲井真県知事は、辺野古埋め立てを承認し、国は、基地建設のために辺野古地区にある大浦湾の埋め立てを開始しました。
問題は、ここからです。
当時の仲井真県知事が考えたように、少なくとも5年間は県外にオスプレイの基地を移し、県民に安全な生活を取り戻すのか。それとも、5年後の普天間飛行場の移転を目指して、国が基地建設のスピードを上げ、基地そのものを5年以内に完成させるのか。
この答えがわかるまでには、もうしばらく時間がかかります。
辺野古に昔から住む人々の思いを忘れてはならない
基地問題でたびたび取り上げられる辺野古ですが、辺野古地区に住む人々にとっては、さまざまな思いがあるということも忘れてはいけないものです。
辺野古地区に住む人々は、昔から「ヒヌク・クンジョウ(辺野古根性)」を持ち続けています。これは、他人の力を借りず、自分の力で生きていくという強い想いがこめられています。
戦後の混乱した時期を、いち早く復興し、自らの力で地域を活性化させるために基地とともに生きることを選び、今も、新たなまちづくりのために日々話し合いを続けている辺野古地区。とはいえ、在日米軍基地に反対する県民感情なども加わり、さまざまな立場や意見・想いが複雑に絡み合ってしまっているため、本質そのものが見えづらくなっているのが今の現状です。
それでも、きちんとその本質に向き合い、自分なりの意見を持つことが、本当の意味で「辺野古問題に向き合う」といえるのかもしれません。