沖縄に移住する限り、必ずどこかで耳にするのが、方言で「ムンチュー」と呼ばれる門中制度。なんとなく親戚の集まりのことを言っているようだけど、いまいちわからない門中制度の仕組みとは?
門中ってなに?
門中は、簡単に言ってしまうと、同じ始祖を持つ父系血縁の集まりのことを言います。
沖縄では、父系の直系血族が一族の長として継承していくのが伝統です。一族の継承には様々な決まりがあるため、その決まりに守って継承していくことが求められてきました。
その為、門中に属している男性は、門中系図を見れば自分のルーツが分かるようになっています。
もちろん・・・門中の男性も、結婚して家庭を持ちます。一般的な親族のルーツを示す家系図では、結婚した女性の三親等までは記入されるので、奥さん側のルーツを知ることが出来ます。ところが門中系図では、門中に属する男性の配偶者は記入されるのですが、それ以外の情報は記入されません。
このように、門中というのは、あくまでも男性血族が中心となっているのが最大の特徴。ルーツを知るための系図に関しても、一般的な家系図とは異なっていることが、最もわかりやすい特徴だといえます。
門中の仕組みとは?
門中は、始祖が初代となり、すべての基本になります。ここが、門中の仕組みを考える時には、非常に重要になります。
たとえば、本家の二男が結婚を機に分家をし、男の子が生まれたとします。一般的に考えると、本家の二男が分家をするわけですから、分家をした後は、二男が分家の始祖となります。ですから、二男の息子は分家の二代目となります。
ところが門中の仕組みでは、そうはなりません。始祖は同じとなっていますから、二男が分家したとしても、始祖から見て二代目であることは変わりません。その代り、「本家の二代目」とは異なるので、「分家の二代目」となります。
沖縄では「〇代」ではなく「〇世」と読む
ルーツを探る時に、初代から見て自分が何番目に生まれたかを表すのが「代」。ですから、「2代目」「3代目」という呼び方をするのが一般的です。
ところが沖縄の門中は、始祖を中心にその世代を共有するという意味があるため、「世」を使うのが一般的。ですから、順番を表す時も、「一世」「二世」「三世」と表します。
門中同士の結束力は固い
門中制度の中では、共同でお墓を持つだけでなく、かつては子育てや学費の工面なども、門中同士で行っていました。
そのため、同じ門中同士の結束力は非常に強く、初対面の間柄でも、同じ門中であることがわかると、態度が一瞬で好転することもよくあります。
ただし、最近では、かつてほどの門中同士の関係は薄れ、一族で行ってきた門中墓の行事などについても否定的な考えを持つ人も増えてきました。
門中同士の付き合いから距離を取りたいという人も中にはおり、門中最大の結びつきである門中墓ではなく、個別に家族だけの墓を建てる人もいます。
結束力が強い門中制度ですが、時代とともにそこに属する人々の価値観も多様化しています。
子孫だけで約5,500人もいる巨大門中
大きな門中に属していると、何かと大変と言われる沖縄。
そうはいっても、門中の子孫が約5,500人もいるという巨大な門中が存在しているということは、ご存知でしょうか?何を隠そう、その門中こそが、県内最大級の共同墓を持つ「幸地腹・赤比儀腹両門中墓(こうちばら・あかひぎばらもんちゅうばか)」です。
幸地腹・赤比儀腹両門中墓の共同墓は、糸満市にあります。敷地面積は約5300㎡!この広大な敷地の中央にあるのが、本墓。
そしてその前には、かつて大きな墓にはどこにでも設置されていた「シルヒラシ」と呼ばれる棺置き場を具えた4つの墓。さらに、その他にも納骨堂が1基と、小さな子供や墓に入ることが門中のしきたりで認められていない仏さまのための「仮墓」があります。
この巨大な共同墓をみれば、この門柱組織の大きさは一目瞭然!現在、この門柱に属する子孫の数は、約5,500人と言います。これだけいると、門中一族だけで小さな村が一つできてしまいそうです。
門中制度は昔より緩くなってきている
沖縄では、お歳暮やお中元などに自分の名前の横に門中を記載するほど、当たり前のように使われていましたが、最近では見かける事も耳にすることも少なくなってきました。
ですが、おじいちゃん・おばあちゃんが多く住んでいる地域(集落)では、今でも変わらず門中は使用されています。
上でもお話しした通り、時代とともにそこに属する人々の価値観も多様化しています。今後、門中制度が残っていくのかは・・・今の若い世代にかかっているという事になります。
今後、こうした門中制度について、若い世代がどのように受け止めていくのかが課題となってくるでしょう。